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沖縄グシク巡り!玉城城跡編・・・ [歴史]

アマミキヨが築いたといわれる琉球最古の古城・玉城城(タマグスク・グシク)


玉城城跡(たまぐすくじょうあと)は、別名アマツヅ城とも言われているようです。


玉城按司とは?

玉城世之主玉城按司(たまぐすくよのぬしたまぐすくあじ)によって石積みを行って殿舎を建てたと言われていて、後の英祖王統 四代目王 玉城王だと言われています。

尚コウ王の次男・尚惇、大里王子朝教を元祖とする琉球王族と言われていて第二尚氏の分家で、王国末期に大里間切(現;南城市大里地区)の按司地頭を務めた琉球王国の大名です。
琉球王国第二尚氏王朝の第17代国王

築城年代や歴代の城主についてはさだかではないのですが、石垣の積み方から約600年前のものと推定されているようです。

島尻郡誌では、【アマミキヨ】が築いた城であるとの伝説があって城主は、一の郭・二の郭・三の郭の三つの郭からなる階段状の山城で天然の要害の地に築かれています。
(琉球民族の祖霊神と言われている)

城壁は一の郭が原型をとどめていて、二の郭と三の郭の城壁は戦後、米軍基地建設の骨材料として持ち去られ、現在根石がかろうじて残っているにすぎないようです。(残念です)(>_<)

一の郭は、東北東に自然の一枚岩を刳り抜いて造られた城門があり現在残っているのは主郭跡の城壁、石敷などの遺構のみで、主郭の城壁はほぼ完全に近い形で残っています、岩盤をくり抜いて作られた本丸門は(東北東)に向けて口を開いており、ニライカナイ(琉球で伝承される海のはるか彼方の理想郷)に通じるとされている。

琉球創世神・アマミキヨが築いた琉球七御嶽のひとつとされていますが、城跡内に七御嶽の【アガル御イベ、ツレル御イベ】と呼ばれる拝所が残されています。

琉球国王も参拝したといわれる 天つぎあまつぎの御嶽があり、とくに干ばつの際は国王自ら雨乞いの儀式を行ったと記されているようです。

現在でも東御廻り(アガリウマーイ)という巡礼行事の聖地となっていつようで、昭和62年[1987年]には 国から史跡に指定されたそうです。

玉城城は神秘的なグスクのようでした。(^_^.)







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