沖縄のグシク巡り !佐敷城編・・・ [歴史]
佐敷城跡・・・
佐敷城は、佐敷の海岸部を臨む南側の山稜の中腹部であり、海岸部からの比高は40mほどだそうです。
この城(グシク)は尚巴志(しょうはし)の最初の居城だったと言われるている城(グシク)です。
第一尚氏の尚思紹(しょうししょう)・尚巴志(しょうはし)の居城だが、石垣には囲まれていなかったのではないかと!
言われています。
その下に展望台となっている広場があるが、ここは結構広く建物を何棟も建てることができる広さで ここからは佐敷の海岸や集落を一望の下に望むことができきるようでした。
尚巴志(しょうはし)は馬天港や与那原港で明との貿易を盛んに行い、購入した鉄から作った農具を配ることで民心を得たとされています。
1979年の発掘調査では、中国製の青磁碗が一括して出土しているようです。そのほか鉄・青銅製品、皇宋通宝、荊寧元宝などの銭や、玉類、炭化した米、麦、牛骨なども出土したそうです。
また、建物跡の柱穴や土留めなども検出されており、尚氏の居館の跡も推定されているが、上記の通り 沖縄の城(グシク)に見られる石垣などは存在していないようです。
城(グシク)の背後は南側から延びてきている山稜が続いてきており、山の側から攻め込まれたら苦戦しそうな地形であると言われています。
尚巴志(しょうはし)の城(グシク)であったにしては、意外にぱっとしない城(グシク)である!ですが!ここから三山統一が始まったのか!うぅすごい!トリハダものですね(^o^)丿
三山統一の過程で、大里グスクを攻め取り、佐敷グスクより居を移し 1406年には浦添城の中山王・武寧を滅ぼして父・尚思紹(しょうししょう)を中山王に就け、1416年には今帰仁城の攀安知(はんあんち)を攻め落とし、1429年には南山城の他魯毎(たるみい)を攻め滅ぼして琉球初の統一王朝を打ち立てたそうです。
この王朝は第一尚氏王統と呼ばれ、1469年まで6代続いた。佐敷城は三方を急斜面で囲まれた丘陵に築かれ、中城湾から勝連城まで見渡せる眺望の良い位置にある。
琉球を統一した初代王出身の城ではあるが、現在は1938年に第一尚氏を祀るために建立された月代宮(つきしろのみや)があるだけのようです。
ここは、琉球王朝時代から聖地とされ、首里城から沖縄本島の東南部の聖地14ヵ所を巡る行事「東御廻り」(アガリウマーイ)の一か所とされているようです。
「東御廻り」(アガリウマーイ)は、かって国王の行事だったものが、次第に一般の人々の行事になっているようですよ。
聖地は鳥居を山手に入った眺めのいい位置にあり、遠く久高島も拝めるようです。
久高島は神の島で有名ですよ!
月代宮とは?
尚巴志の500年祭を機に、佐銘川大主・尚思招・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳の8体を合祀したつきしろの宮が建立された。
命名は、第一尚氏王統の守護神「つきしろ」に由来。台地上の先端部に築かれていることから、別名「上グシク」とも呼ばれているそうです。
ふと目を閉じると琉球國時代の風景が浮かんでくるようでした。
知っとこ!
佐敷城ってたしか、熊本にもありましたよね。
それでは・・・
佐敷城は、佐敷の海岸部を臨む南側の山稜の中腹部であり、海岸部からの比高は40mほどだそうです。
この城(グシク)は尚巴志(しょうはし)の最初の居城だったと言われるている城(グシク)です。
第一尚氏の尚思紹(しょうししょう)・尚巴志(しょうはし)の居城だが、石垣には囲まれていなかったのではないかと!
言われています。
その下に展望台となっている広場があるが、ここは結構広く建物を何棟も建てることができる広さで ここからは佐敷の海岸や集落を一望の下に望むことができきるようでした。
尚巴志(しょうはし)は馬天港や与那原港で明との貿易を盛んに行い、購入した鉄から作った農具を配ることで民心を得たとされています。
1979年の発掘調査では、中国製の青磁碗が一括して出土しているようです。そのほか鉄・青銅製品、皇宋通宝、荊寧元宝などの銭や、玉類、炭化した米、麦、牛骨なども出土したそうです。
また、建物跡の柱穴や土留めなども検出されており、尚氏の居館の跡も推定されているが、上記の通り 沖縄の城(グシク)に見られる石垣などは存在していないようです。
城(グシク)の背後は南側から延びてきている山稜が続いてきており、山の側から攻め込まれたら苦戦しそうな地形であると言われています。
尚巴志(しょうはし)の城(グシク)であったにしては、意外にぱっとしない城(グシク)である!ですが!ここから三山統一が始まったのか!うぅすごい!トリハダものですね(^o^)丿
三山統一の過程で、大里グスクを攻め取り、佐敷グスクより居を移し 1406年には浦添城の中山王・武寧を滅ぼして父・尚思紹(しょうししょう)を中山王に就け、1416年には今帰仁城の攀安知(はんあんち)を攻め落とし、1429年には南山城の他魯毎(たるみい)を攻め滅ぼして琉球初の統一王朝を打ち立てたそうです。
この王朝は第一尚氏王統と呼ばれ、1469年まで6代続いた。佐敷城は三方を急斜面で囲まれた丘陵に築かれ、中城湾から勝連城まで見渡せる眺望の良い位置にある。
琉球を統一した初代王出身の城ではあるが、現在は1938年に第一尚氏を祀るために建立された月代宮(つきしろのみや)があるだけのようです。
ここは、琉球王朝時代から聖地とされ、首里城から沖縄本島の東南部の聖地14ヵ所を巡る行事「東御廻り」(アガリウマーイ)の一か所とされているようです。
「東御廻り」(アガリウマーイ)は、かって国王の行事だったものが、次第に一般の人々の行事になっているようですよ。
聖地は鳥居を山手に入った眺めのいい位置にあり、遠く久高島も拝めるようです。
久高島は神の島で有名ですよ!
月代宮とは?
尚巴志の500年祭を機に、佐銘川大主・尚思招・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳の8体を合祀したつきしろの宮が建立された。
命名は、第一尚氏王統の守護神「つきしろ」に由来。台地上の先端部に築かれていることから、別名「上グシク」とも呼ばれているそうです。
ふと目を閉じると琉球國時代の風景が浮かんでくるようでした。
知っとこ!
佐敷城ってたしか、熊本にもありましたよね。
それでは・・・
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